【第99回地方大会】負けた球児たちへ

負けた球児達へ


夏の高校野球
みんな同じ、負けたのは1回だけ。それを一分一秒、遅らせるための戦いが夏の大会であり、その瞬間は優勝する一校を除いて必ず訪れる。最後のアウトが告げられた後、敗者となった君達は、目を真っ赤に腫らし、声を枯らして泣きじゃくったに違いない。グランドにうずくまり立てなくなった者もいただろう。3年生はもう仲間と高校野球をするチャンス、甲子園を目指すチャンスは人生で永久に訪れない。


君達は3年間、一生懸命に努力して、ラストゲームも最後まで諦めずに戦ったに違いない。しかし、例え、一生懸命にやっても、例え、血の滲む努力をしても、結果が出ない時が人生にはある。つまり、勝ち負けの結果だけを見れば、努力は人を裏切る時があると言うことだ。


でもだ、だからと言って努力しても意味がないと思うのは早計だ。私は人生で最も大事な瞬間は勝った瞬間ではなく負けた瞬間だと思っている。負けたのは辛い。でもその負けという結果をどう受け止めるか、が敗者となった球児に課せられた仕事だ。最後の夏の大会のそれはどのように甲子園という夢を終わらせるかという重くて辛いラストプレーを意味する。


やり切ったという納得感は努力したものだけが得られる負けの受け止め方だ。でも、努力した実感のない者の負けにあるのは、ただただ後悔でしかない。この点だけをとってみても、私は努力とは如何なる結果をも受け止める為にあるのだと考えている。もっと言うなれば、努力は負ける為、あるいは負ける瞬間の為にするということだ。


この夏、君達に勝ったライバル達は憧れの甲子園の土を踏む。勝者を決める一方で時として無情な多くの敗者を生み出すことが一発勝負の高校野球だ。だから、高校野球は勝者には与えない特別な希望を敗者に与える。それは、勝ちから得られるものよりも負けから得られるものこそが人生の本質であるという気づきだ。それが意味するところ、負けて努力の価値を知ることとなるとすれば、高校野球は決して負けた球児を裏切ったりはしないということだ。


甲子園だけではなく、高校野球を経験した者は、地方大会こそが熾烈であることを知っている。とにかく、仲間を信じて、一度も負けられない夏を、とてつもない緊張感で戦った球児達に、心からお疲れ様という言葉を贈りたい。特に、9回2アウト、仲間達の全ての想いを背負って最後のバッターになった球児達へ。


9回2アウト、最後のバッターになった元球児より

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Trykoshien kaispo2017