編集後記~大会を終えて~

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~ 銀傘の陰から ① ~
 
 8月18日、第90回全国高等学校野球選手権記念大会が無事に閉幕しました。今大会も連日視察しましたが、この甲子園大会が90回もの歴史を刻むにふさわしい熱戦が繰り広げられ、すばらしい感動を与えてくれました。
 今大会の総入場者数は、89万人となり、昨年の77万人を大幅に上回り、過去10年で最多となりました。今大会は、出場校が55校に増え、日程が17日間に渡ったことが要因でもありますが、球場のリニューアルによって内野席が3500席少なくなったことも考えると、80回記念大会の89万5千人をも上回ったことは確実でしょう。

 
 18日に行われた決勝戦は、今大会を象徴するような打撃力を武器に大阪桐蔭がその投打にわたる実力を発揮し17対0という記録的大差で優勝しました。大阪桐蔭はここ数年、平田(中日)、辻内(巨人)、中田(日本ハム)といったスターを輩出しており、今回の選手達は、昨秋の大阪大会でコールド負けする等、実力不足を指摘されたいわゆる谷間の世代と評されていました。しかし、彼らは、自分達は先輩達とは違う乏しい力量を見極め、血の滲む努力を繰り返したそうです。「努力できることが才能」とはよく言われますが、まさに努力で掴んだ全国制覇だったのしょう。
 私も、大人も彼らから教わることも多いと感じました。そもそも私は彼らが才能のない選手たちとは思いません。大阪桐蔭で野球部に入るという選択があること自体が才能のある選手である中で、「自分達は弱い」と認識できる謙虚さ。これこそが、最後、甲子園という舞台で、99本もの安打で頂点に上り詰めた要因であったように思います。
 彼らは自分達を「今年はスター不在のチーム」と言いますが、決勝戦の試合前、多くのファンがベンチ前で素振りをする選手らの写真を撮ろうとスタンド下まで集まりました。努力という才能で、先輩達に負けない強烈な印象と憧れを植え付けていた君達は、もう既に「甲子園のスター」になっていました。
 優勝監督インタビューで、西谷監督は、「一生懸命にやってくれた(偉大な)OB達にいい報告ができる。」と話しました。
大阪桐蔭ではどんなスター選手でも壮絶な努力し、その姿を見て後輩達は成長しているのです。


一方、惜しくも準優勝した常葉菊川もファイナリストにふさわしいチームでした。打撃力に隠れた守備力で、逆転劇の下地をつくり決勝戦まで勝ち抜きました。人は一度、大敗を喫すると全てを駄目と評する人もいるでしょうが、フルスイングする豪快な打撃と集中打、そしてそれを確実に勝ちに繋げるだけの守備力。これは今大会、失策で敗戦する学校も多かった中、このチームこそが決勝の舞台で戦うにふさわしいと戦前から思いました。
 決勝戦では先発したエースの戸狩君の肘の調子が悪く、大敗を喫する結果とはなりましたが、佐野監督はその戸狩君を9回表2死となって5人目の投手として最後にもう一度マウンドに戻しました。そのシーンと戸狩君が9回裏2死となって最後の打席に向かうシーン。甲子園では1塁、3塁に関係なく大きな拍手が沸き起こりました。
 点差がついても帰らない観衆、本気で野球を観る観衆は、戸狩君の無念の思いや常葉菊川の実力を知っているからの拍手だったのでしょう。見事な準優勝でした。

 
(②に続く)


☆☆☆  野球を愛する皆様 今年もありがとうございました。  KAIスポ!  ☆☆☆

~ 銀傘の陰から② (続き)~
 
 さて今大会は、北京オリンピックと開催時期が重複する影響を避けるため、史上最も早い8月2日に開幕しました。恒例の組合せ抽選会はなく各地方大会の決勝戦後に優勝校がくじを引き、次々とトーナメントが決まっていく方法をとりました。また甲子園練習もなく、選手達や我々も少し寂しい感じがしましたが、8月2日の開幕から高校野球らしい見事な接戦が続きました。
 今大会は、「打高投低」と評すべき大会となりました。安打数、打点、本塁打等で、高い数字を記録する一方で、与四死球や失策も多く、課題を残すものでもありました。
 高校野球プロ野球とは違います。ある程度の失策や与四死球は仕方ないことでしょう。しかし、それが、勝敗を決してしまい、悔いを残す材料にはしてほしくないと考えています。また甲子園練習がなくぶつけ本番で戦わざるを得なかった影響も少なくはないでしょう。
 今後は、例年各校30分の甲子園練習ですが、このような早期開催でも試合前ノックの7分間程度、各学校に守備練習を割り当てる等、検討と配慮があってもよいのではと思います。

 今大会も多くの心に残るプレーがありました。
 ほんの一つだけ紹介します。

 8月17日 準決勝第1試合。浦添商対常葉菊川戦でのシーン。
 7回表常葉菊川の攻撃。1死3塁から、8番栩木君がスクイズ。大きくバウンドして跳ね上がった打球を浦添商・エースの伊波君がグラブを上から叩きつけるグラブトスで捕手の山城君に送り、捕殺するプレーがありました。グラブを上から出すグラブトスは非常に難しいプレーですが、甲子園の舞台でやってのけました。とっさに体が反応した結果でしょうが、その野球センスに甲子園は感嘆の拍手を送りました。近くにいた横浜ベイスターズのスカウト陣も苦笑いするようなシーンでした。


KAIspoはこの8月で、この1年の総決算となります。今年は春の選抜も80回記念大会。夏は90回記念大会。沖縄勢が甲子園に登場して50年。春は沖縄尚学が優勝し、夏は浦添商がベスト4まで進み、沖縄勢が春夏連覇するのではと、沖縄野球の躍進が甲子園を席捲しました。
 また夏の高校野球は、大正4年8月18日に産声をあげました。そして93年後の90回記念大会決勝戦が行われたのも同じ8月18日。甲子園の申し子といわれた清原和博選手が生まれ、そして、プロ野球人生の今季限りでの引退を宣言した日ともなってしまいました。
 沖縄勢の躍進と決勝戦の行われた8月18日。高校野球の歴史と縁を感じざる得ない印象深い日となりました。

 今年も大会開催時期に関係なく数多く甲子園を訪れました。試合だけではなく、改装工事過程で、蔦が取り除かれ、あらわになった外壁からは大正14年からの歴史を感じさせました。冬に訪れた時には、雪が降り、寒くて、依然工事中の甲子園があと数ヶ月後には本当に選抜の舞台になるのかと心配したことをつい最近のように思い出されます。
 また年明けには甲子園・素盞嗚神社(こうしえん・すさのをじんじゃ)の絵馬に私はこうつづりました。「生まれ変わっても甲子園大会が続いており、もう一度高校野球に出会えますように」。私以外の絵馬につづられた多くの球児や関係者の夢は今年叶ったのでしょうか。

 毎年のことですが、大会終盤にもなると確かに疲労もピークでした。しかし、どんなに疲れても甲子園駅に着くと、胸が躍ります。どんなに疲れても甲子園はその何倍もの感動、勇気、希望を与えてくれます。
 8月15日の準々決勝でのスタンド。「もう大会も終わりやなぁ。寂しいな。近畿勢同士の決勝もあるかもな。」ともう何十年と甲子園に足を運んでいるであろう方々の会話が聞こえました。
 選抜のコラムでも紹介しましたが、何年たっても人々の感動や思いは変わらない、それが甲子園ということです。

 もやは恒例のコメントとなりましたが、今年も、年に2回も白球を追うひたむきさと刺激を与えてくれ、人として原点回帰させてくれる球児達に心から感謝し、今後も高校野球が続き、甲子園の文化が球児達の目指すべき価値のある尊い場所であり続けてくれることを切に祈りたいと思います。

 最後に今大会もKAIスポ・夏の甲子園コラムを“ご購読”頂いた皆様に深く感謝申し上げます。まだまだ残暑が厳しい日が続いておりますが、皆様どうぞお体ご自愛頂き、ますますご発展されますことをお祈り申し上げます。


 -2008年8月23日 KAIスポーツ新聞社・90回記念夏の甲子園取材班-
☆☆☆  2008年秋 甲子園第2期リニューアル 歴史・伝統そして新時代へ KAIスポ!!   ☆☆☆

☆☆KAIスポ・第90回記念夏の甲子園コラム『銀傘の陰から』☆☆
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